昨晩は、だいすきな常見陽平さんと酌み交わしながら激論90分。
「ブラック企業」、「就活」や「教育」など、氏と私が世に出す意見は
テーマこそ共通だが、常見さんが紡ぎだす文章には私にはない
視点や解釈があり、私は愛読者としていつも大いに刺激を受け、
愉しませてもらっている。
これは恐らく、お互いの執筆における「エネルギーの源」と
「興味の対象」の違いによるものだろう。
常見さんの文章の源には「愛」があり、「人」に対する興味が
ベースにあるわけだが、私のエネルギーはブラック企業の
理不尽さに対する「怒り」であり、人よりむしろその「根源に
ある問題」とか「事象」への興味がより強いからだ。
切り口の違いは価値なのである。
白熱討論の中で氏と意見が合致したのは、
「『ブラック企業』という言葉を使っている限り、
ブラック企業問題は解決しない」
ということだ。
確かに「ブラック企業」というバズワードの威力はものすごく、
それがあるだけで雑誌の売上やネット記事のPVはある程度
上振れするレベルなわけだが、逆に言えば
「便利な一方で、本当の問題の所在があいまいになる言葉」
だともいえる。 これは「若者の使い捨て」とか「やりがい搾取」
みたいな「もっともらしいが、具体的にはよくわからない言葉」
も同様だ。
ということで、今後は「36協定違反」とか「解雇規制の見直し」、
「採用広告におけるRJP」…といった形で、個別具体的に
問題を採り上げ、解決のために論じていきたいと気持ちを
新たにした次第である。